こんにちは。耳澄(@siegmund69)です。
「コーヒー&シガレッツ」
タバコもやらないし、コーヒーもちょっと苦手な私ですが、このふたつ、映画にとっては欠かせないものと思っています。
光の陰影を深める紫煙。何気ない日常のくつろぎが香り立つコーヒー。
だから、この欠かせない小道具を映画そのものにしてしまった、ジム・ジャームシュ監督の映画「コーヒー&シガレッツ Coffee and Cigarettes」は素晴らしいのです。
“Cigarettes and coffee, man, that’s a combination.”
「タバコとコーヒー、こいつはぴったりのコンビだ」(イギー・ポップの台詞)
シャンパン Champagne
この11本のショートフィルム集の最後を飾るのは、名優テイラー・ミードとビル・ライスによる「シャンパン champagne」。この粋な映画を締めくくるに相応しい一篇です。(テイラー・ミードを捉えるショットの美しさときたら!)
冒頭のテイラーの台詞は、わかる人にはすぐわかるのですが、フリードリヒ・リュケッルトの詩「私はこの世に忘れられ」の一節とほとんど同じなのです。
そして彼は呟きます。
「Do you know that song? Mahler ”I Have Lost Track of the World”
あの歌を知っているかい? マーラーの『私はこの世に忘れられ』」
「It’s kind of most beautiful and sadness ever written.
この世で書かれたものなかで最も美しくて悲しい歌なんだよ。」
「I can almost here now. あー、僕には聞こえてくる。」
「Can you hear? 君は聞こえるかい?」
「この世に忘れられ」
では耳を澄ましてみよう。
マーラー:「リュッケルトによる5つの歌」〜
「Ich bin der welt abhanden gekommen 私はこの世に忘れられ」
疎ましい世間から離れて、安らぎに満ちた世界で愛と歌に生きるという厭世的なリュッケルトの詩に対して、マーラーの音楽は憂いあるイングリッシュホルンで寂寥感を醸しながらも、調性が変ホ長調であるように決して暗くはありません。
その点で詩と音楽が最も相反するのは、
「Es ist mir auch garnichts daran gelegen,
死んでしまったと思われても、」
「ob sie mich für gestorben halt.
私にはどうでもいいことだ。」
「Ich kann auch nichts sagen dagegen,
私はそれに対しては何も言えない、」
「denn wirklich bin ich gestorben der Wert.
なぜなら私はこの世では死んでいるのだから」
世捨て人極まるような言葉に対して、音楽はハープやヴァイオリンソロで、これでもかとばかりに夢見るような美しさを彩どります。
その詩との亀裂こそが、孤独の悲しみを引き立てると言わんばかりに。
あるいは、孤独の先に見たユートピアなのか。
そして、この曲の音楽的核心と私が思う箇所。
「Ich bin gestorben dem Wertgetummel
私はこの騒がしいこの世では死んでしまって、
und ruh’ in einem stillen Gebiet!
私だけの静かな場所で安らいでいます。」
主題に回帰した歌は、第10節目の「静かな場所で安らぐ」で、誰も邪魔しない静謐な成層圏の高みに登ります。
まず「ruh休む」に至るまでに伴奏は高弦を省いた中低弦のみのpp(ピアニシモ)になり、歌は下降して下のC(ド)の音に至ります。
そして「stillen静かな」で1オクターブ上のCに跳躍し、高弦も加わることで、誰もいない澄み切った世界が表われ出るのです。
ここは音楽的核心であり、最も美しいところだと私は思っています。
その後の三度のハーモニーによるクラリネットが「dolce甘く柔らかに」で浮かび上がってくると、世俗的な匂いが香り始め、自分の至福、愛そして歌に生きると語ります。
伴奏も強い耽溺を示し、多くが指摘するようにマーラーの5番交響曲アダージェットを彷彿させるような陶酔の中に没頭します。
しかし、練習番号9の1小節前で下降していく変ホ長調に減五度のイ短調が噛んで、音が軋むのです。
ここはユートピアの憧憬の向こうに死への魅了があることの仄めかし、かもしれませんね。
最後は「verklärt con beatitudine 輝かしく 至福の中に」と指示があるように、再び恍惚の世界で閉じられます。
Can you hear?
テイラーが耳に手を当てて音楽を待っていると、
かすかに「この世に忘れられて」が聞こえてきます。
映画のクレジットによると、ジャネット・ベイカーの独唱によるバルビローリ指揮ニュー・フィルハーモニア管弦楽団のアルバム(1969年)が使用されています。
言わずと知れた名盤誉れ高い演奏で、ジム・ジャームシュ監督の選曲だとすれば凄いことですね。
ベイカーのややくぐもった声色と暖色の柔らかい伴奏が全体的に静謐感を漂わせる素敵な録音だと思います。
例の第10節目の「ruh安らぐ」「stillen静かな」。わたしがその言葉の表現に拘りたいのは、それが主人公が望む世界の描写であることと、その先に死を見るからです。
しかしその死は暗黒ではなく、音のない静けさが漂うけど光り輝くような彼岸なのです。
マーラーの音からそれが聞こえてきませんか?
Can you hear that?
静かな音たち
クヴェストホフが小澤征爾&ウィーンフィルで歌った2004年2月の歌唱は、極度にデュナーミクを抑えた伴奏の中で透徹したような境地を歌い上げ、今もって私の理想のひとつなのですが、残念ながら音盤にはなっていません。
またディートリヒ・フィッシャー=ディースカウとバーンスタインのピアノによる録音(1968年)は、もしかしたらこの曲の録音史における最高峰の演奏のひとつかもしれません。
大変遅いテンポで言葉のニュアンスを細かく汲み取り、第10節目の繊細さーー「stiellen静かな」の有気音と弱音の素晴らしさ。なかでも「Ich leb’ allein 私はひとりでも生きる」に込められた確たる強い意志!
その後の不協和音もバーンスタインはしっかりその苦味を押さえています。
テクストの深い理解において、これを超えるピアノ版の録音はなかなか難しいと思っています。
静謐さという点では映画に使用されたベイカーも、その深く抑制した歌で素晴らしいと思います。
また晩年のバーンスタイン&ウィーンフィルによる深い呼吸の中で若いトーマス・ハンプソンが歌う「stillen静かな」はディスカウに似た透徹さを持っており、大変心が揺さぶられます(1990年)
(紹介のYoutubeはリュッケルト歌曲集全曲収録されているので、「私はこの世に忘れられ」は15’30”〜)
また女声では、スーザン・グラハムがマイケル・ティルソン・トーマス&サンフランシスコ響の伴奏で歌ったアルバム(2009年)は、「ruh安らぐ」「stiellen静かな」における静寂な世界もさることながら、克明なテクスチュアが哀しくも至福の世界を際立たせており、大変美しいです。
I have to have a nap
仕事の休憩時間に、美味しくないコーヒーをシャンパンに見立てて、過去の思い出と束の間の幸福に乾杯を捧げたテイラーとビルでしたが、休憩の残り時間だけ寝たいと、テイラーは眠ってしまいます。
Ist dies etwa der Tod?
ひょっとしたら、これが死だろうか?
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