高橋源一郎演じる写真館の男は、ヘッドホーンをしながら何かを書き留めている。
窓の外に見える、余貴美子演じる店主が一人営む理髪店を眺めながら、幸せそうな笑顔を湛えているところに、あのマーラーのアダージェットがかかり、その笑顔を祝福している。
2年前にテレビ朝日系の金曜深夜帯にかかっていたドラマ「dele」の第3話「バラがつなぐ未解決事件」の忘れがたいシーンです。
こんにちは。耳澄(@siegmund69)です。
ドラマ「dele」
「dele」は近年最も優れたドラマのひとつと信じて疑わないのですが、主演の山田孝之と菅田将暉の演技もさることながら、登場人物の機微をよく描く脚本も素晴らしく、さらに時折クラシック音楽を使っているところもお気に入りでした。
アダージェットと言うと、パブロフの犬のごとく「ベニスに死す」の映像やイメージが浮かんでしまいますが(近年はどうやらそれが伊丹十三の「たんぽぽ」に取って代わっているようですね)、その退廃的なイメージがこの音楽のアイコンとなっているのは、映像がもたらすインパクトの証であると同時に、その強い呪縛からなかなか抜け出せないことも実感しています。
そこへ「dele」は、アダージェットを本来マーラーが意図したと思われる「愛の手紙」へと戻してくれたのです。
それもこの慎ましくも切ない愛を描くために、
そのひと時の幸せを描くために、
音楽は正に夢のように響くのです。
マーラーが込めた想い
「註:このアダージェットは、グスタフ・マーラーの、アルマに宛てた愛の証であった! 手紙の代わりに、彼はこの楽譜を彼女に送ったのである、それ以外には何の言葉も添えずに。彼女はそれを理解して、彼にこう書き送った。あなたが現れる運命であった!!!、と(ふたりが、私にこのことを語ってくれたのだ!)W.M.」
メンゲルベルクが所有していたマーラー第5番交響曲スコアに記載されたコメントより
愛の手紙
コロナ禍でしばらく途絶えていたオーケストラの演奏会が少しずつ再開される中、先日鈴木優人&読響の特別演奏会に出かけてきました。
読売日本交響楽団 特別演奏会/日曜マチネ〜この自然界に生きる〜
日時:2020年7月5日(日)14時開演(休憩なし)
場所:東京芸術劇場
マーラー:交響曲第5番〜第4楽章「アダージェット」
メンデルスゾーン:管弦楽のための序曲
モーツァルト:交響曲第41番ハ長調K.551「ジュピター」
アンコール ラモー:「優雅なインドの国々」〜「未開人の踊り」
指揮:鈴木優人
読売日本交響楽団
その演奏会の冒頭がマーラーのアダージェットだった事は、その選曲に込められた想いを色々と想像させられます。
かつてのペストを彷彿させる今回の世界的な疫病禍を考えると、やはり「ベニスに死す」が頭をもたげるのですが、8型の弦楽編成が奏でるスッキリした響き、でもよく歌う演奏を聴きながら、私はふと思ったのです。
これは読響そして鈴木優人から我々に向けた「愛の手紙」だったのではないかと。
再びこうして舞台でお互いがまみえる幸せと感謝をこのラブレターに託したのではないかと。
そう思いながら、音楽は再び主題に回帰していく練習番号3のところにさしかかりました。
かそけき想い
ハープがアルペジオでへ長調のハーモニーを奏でられる中、1stVnとVaがppp(ピアニシシモ)で3点DからCまでの2オクターブを下降グリッサンドします。
まるでスローモーションのように落下していく、その美しさ。
そして回帰した主題はpからpp(ピアノシモ)へと一層繊細極める中、冒頭の音価の2倍になり、前へと進めるバスのピッツィカートもなくなることで情感は静かに浮遊していきます。
いや、託された想いは更に止揚していくのです。
思うに、ここがこの楽章で最も美しい箇所だと思います。
そして、この日もオーケストラと指揮者が私たちに宛てた手紙は、確かに美しかったのでした。
5本の薔薇
ドラマ「dele」の第3回の最後で、「5本のバラ」の話になります。
この「5本のバラ」の花言葉、皆さんご存知ですか?
「あなたに会えて心から嬉しい」
あまたあるマーラー5番の名盤の中から一枚を紹介することは大変難しいのですが、インバルとかつての手兵が録音したこの盤のアダージェットは、情感が本当によく出ているので挙げてみました。
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