皐月に降臨した峻烈なミューズ――カルロス・クライバー1986年来日公演記(その5)

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こんにちは。耳澄みみすまし@siegmund69)です。
いよいよ、1986年カルロス・クライバー&バイエルン国立管弦楽団の伝説的日本ツアー公演記も最終回を迎えることになりました。
前回に引き続き、このツアー終了後のメディアの報道や演奏会評などを紹介して、最後に「クライバー現象」なるものを検証・総括したいと思います。

熱狂の記

音楽の友 1986年7月号

カラー口絵の歴史的ショット

雑誌「FMfan」、「音楽現代」に続き、いよいよ老舗音楽雑誌「音楽の友」によるこのツアーのリポートです。
まずカラー口絵で見開きによるクライバー、ポリーニ、小澤征爾ら三つ巴、歴史的ショットが掲載されています。
これは初日5月9日の公演直後の楽屋でのショットです。これについて第2回連載の際に私がクライバーの隣にポリーニが座っている車を目撃したことを記しておりました。

雑誌「音楽の友」1986年7月号 クライバー 口絵
雑誌「音楽の友」1986年7月号 カラー口絵(著者所蔵コピー)

既にアドレナリンが枯渇してしまいぼーっとして外に出た私は、文化会館の楽屋口に向かったところ、そこで集まっている人たちの拍手の中からクライバーを乗せた車が出てきました。
よく見るとその隣にはポリーニがいるではありませんか!

皐月に降臨した峻烈なミューズ――カルロス・クライバー1986年来日公演記(その2)

なお、2013年に刊行された「文藝別冊 カルロス・クライバー 孤高不滅の指揮者」(河出書房新社)の中にある広瀬勲氏の「最も濃密な時を過ごした日本人が追想する」によると、この時ではなく5月12日のポリーニのリサイタルに訪ねたクライバーが、やはり同じ会場に居た小澤征爾とともに三人で食事に出かけたことが記されており、その際の写真も掲載されています。

「文藝別冊 カルロス・クライバー 孤高不滅の指揮者」
「文藝別冊 カルロス・クライバー 孤高不滅の指揮者」河出書房新社2013年刊(著者所蔵)
「文藝別冊 カルロス・クライバー 孤高不滅の指揮者」
文藝別冊 カルロス・クライバー 孤高不滅の指揮者」河出書房新社2013年刊 p.60(著者所蔵)

そのポリーニのリサイタル(1986年5月12日 東京文化会館)の際に楽屋を訪ねたクライバーの写真も「音楽の友」1986年7月号のカラー口絵で紹介されています。

雑誌「音楽の友」1986年7月号 クライバー 口絵
雑誌「音楽の友」1986年7月号 カラー口絵(著者所蔵コピー)

老舗雑誌の面目躍如

演奏会評は「Concert Review」にて見開き2ページも使い、宇野功芳氏、藤田由之氏の両氏による気合の入った立体批評でした。
両氏共、お馴染みの言い回しやスコア分析で5月9日、10日、19日とA・Bプログラムを批評しています。

宇野氏は彼らしい比喩や決め文句を多用しながらも、冷静に演奏を見つめている様子もあり、問題点も指摘していますがその理由が今ひとつよくわからないところが、実に彼らしいです。

藤田氏はいつものように事前によくスコアを読み、実践的な演奏に対して注意深く見る批評で、「魔弾の射手」序曲では冒頭の木管が吹いていない事やブラームスでのプルトごとにボウイングが違うことに注目しており、かつその理由も分析している事に驚かされます。一連の演奏会評の中で最も観察力に富んだ批評のひとつだと思います。

雑誌「音楽の友」1986年7月号 クライバー 演奏会評
雑誌「音楽の友」1986年7月号 p.172-173(著者所蔵コピー)

“《現代のフルトヴェングラー》《未来のムラヴィンスキー》といった讃辞が次々と心に浮かんでくるような超天才だと思った。他の現役指揮者とは次元が違う。こういう演奏会なら毎日でも行きたいものである。”

“9日はウェーバーの《魔弾の射手》序曲で開始されたが(中略)もはやただごとではなかった。それは単なる動機の提示ではなく、完全な有機体として息づいていたからである。(中略)第1主題を伴奏する彼のシンコペーションの雄弁さ、くっきりと鮮明な木管のテーマ、そして幸せな第2主題でぐっと店舗を落として歌わせてゆく間と呼吸のよさ!”

“次のモーツァルト「第33番」も最高だった。イン・テンポですんなり流しているようだが、細部にいたるまで実に細かな表情がつけられている。それはもう驚くほど雄弁なのだが、なるべく聴衆に気がつかれないようにしているのだ。(中略)何もしていないのではなく、特別なことをいろいろやりながら、気がつかれないようにしているだけなのだ”

”9日のメイン・プロはのブラームス「第2」、10日はベートーヴェンの「第4」「第7」であったが、これはクライバーなら、もっともっとできると思った。(中略)さらにいっそうやっていることを目立たないようにしている。このくらい徹底してしまうと、今のところ、ムラヴィンスキーにまだ遠く及ばない、と思わせてしまうのである。”

雑誌「音楽の友」1986年7月号p.172 宇野功芳

“一見自由奔放ともうけとられるような演奏が、一方できわめて綿密に演出された楽譜に対する徹底的な作業を根底において展開されているということを見のがしてはなるまい。(中略)たとえばウェーバーの序曲の冒頭にある最弱音からのクレッシェンドでは、木管楽器を小節の頭から演奏させず、弦楽器主体としながらそこに管楽器を徐々に加えてゆくという計画的なクレッシェンドがすでにかれらの楽譜の中に用意されていたようであったし”

“ブラームスの「交響曲」で、しばしば弦楽器群に与えられていた奇数プルトと偶数プルトでのボウイングの違いにしても、たんに逆弓を併用することによって力性の平均化を図っていたばかりでなく、モティーフによってその返しをずらすことによって、より大きな効果をあげていたところが少なくなかった。”

“自己の求めた最終的な姿に対して妥協を許さぬものとなっていただけに、細部において、オーケストラの演奏に多少の瑕疵(きず)を残す結果になっていたことは否めまい。”

雑誌「音楽の友」1986年7月号p.173 藤田由之

熱狂のテレビ放送

さて、各誌の特集記事も一段落して、日本ツアーのほとぼりも冷めてきた夏に、 NHK総合で5月19日のベートーヴェン・プログラムの演奏会が放送されることになりました。

NHK総合テレビ
番組名「クライバーのベートーベン」
放送日:1986年8月30日(土) 14時10分〜15時30分
ベートーヴェン:交響曲第4番変ロ長調
ベートーヴェン:交響曲第7番ニ長調
ヨハン・シュトラウス2世:喜歌劇「こうもり」序曲
ヨハン・シュトラウス2世:ポルカ・シュネル「雷鳴と電光」

1986年5月19日 東京 昭和女子大学人見記念講堂
指揮:カルロス・クライバー
バイエルン国立管弦楽団

幻のリハーサル風景映像

NHKは夕方の「テレマップ」で翌日の目玉番組を紹介するのを知っていた私は、8月29日金曜日の夜7時前にある「テレマップ」を念のため録画していたところ、案の定その「テレマップ」で翌日に放送される「クライバーのベートーベン」が紹介されたのです!

さらに驚くべきことに、そこでは本放送では放送しなかった本番前のリハーサル風景がほんのわずかですが放送されたのです!
それはベートーヴェンの7番交響曲第1楽章の練習番号Aの23小節目からのリハーサルで、クライバー自ら16分音符のリズムなどを歌いながら指示している様子でした。
この映像は10年近くVHSのテープに保存していたのですが、大変残念なことにビデオデッキに絡む事故があり、テープがズタズタに折れたり切れたりしたため再生不可能になってしまいました。とほほ。

なお、この時のリハーサルは音楽評論家の金子建志氏も立ち会っていたようで、以下のような記述があります。

”カルロス・クライバーが、バイエルン国立管弦楽団とのゲネプロで、このffへの急転(註:4番交響曲フィナーレの345小節以降)を鮮やかに決めようとして、楽員の目を、あの電撃のような棒に慣れさせていたのを思い出す。”

「朝比奈隆 交響楽の世界」朝比奈隆 編/解説:金子建志 早稲田出版1991年刊 p.77
朝日新聞 1986年8月30日土曜日 朝刊
朝日新聞 1986年8月30日土曜日 朝刊(著者所蔵コピー)

本放送

ご承知のようにこの映像は何度もNHKで放送されていますし、1986年の初回放送のために編集された「クライバーのベートーベン」も全編がNHKのBSプレミアムで再放送された事もありました。またYouTubeでもその初回放送含め上がっていますので、皆さんもよく承知の映像かと思います。

初回放送は冒頭が終演後の熱狂的な歓呼と舞台前に集まった多くの人と握手をするクライバーが映されており、現在ではあまり見られない熱狂の聴衆の様子が伺えられます。
以下全編は引用しませんが、番組冒頭部分から4番交響曲前半パートの映像になります。

Beethoven: Symphony No.4 / C.Kleiber Bayerische Staatsorchester (1986 Movie Live)

その後の熱狂

1991年 クライバー本の登場

その後、この日本ツアーに関する記事に関しては当然途絶えることになるのですが、公演から5年後の1991年にWAVE+ペヨトル工房が突如「WAVE31 カルロス・クライバー」(監修:長木誠司)という日本初のクライバー本を出版します。
その中にヴォルフガング・シュライバーの「大成功の旅行」と題した1986年のツアーの回顧が掲載されました。

内容としては、このツアーが当初ドイツ側の事情もあって開催が危ぶまれた舞台裏や日本人の聴衆の熱狂ぶりが描写されたおり、実際の演奏やリハーサルでの様子など音楽面についてはほとんど触れられていません。

「WAVE31 カルロス・クライバー」WAVE+ペヨトル工房
「WAVE31 カルロス・クライバー」WAVE+ペヨトル工房 監修:長木誠司 1991年刊(著者所蔵)
「WAVE31 カルロス・クライバー」WAVE+ペヨトル工房
「WAVE31 カルロス・クライバー」WAVE+ペヨトル工房 p.109

“大阪での歓迎会の際、カルロス・クライバーは。”彼の”オーケストラにひとこと(中略)それはクライバーが返礼のスピーチをしようとしたものらしかったが、その時はただこう言っただけだった。「この歓迎会は、キャンセルしないでよかったと思える、数少ない出来事の一つです」彼はまぎれもなく、演奏旅行全体のことを言っていたのだった。”

WAVE+ペヨトル工房「WAVE31 カルロス・クライバー」p.108

2010年代のクライバー本

画期的なカルロス・クライバー伝記

2010年代に日本では2つのクライバー本が出ることになりますが、その内の一つはアレクサンダー・ヴェルナーによる画期的な伝記です。
この本の詳細については省きますが、概ね編年体で足跡を追う形になっており、その中に1986年の来日公演について5ページに渡る記述があります。
内容的にはこの本の基本となっている関係者や演奏者の証言でまとめられており、ツアーの舞台裏のエピソードが主となっています。

“打楽器奏者たちがアンコール曲の練習はないと思い込んでプローベに姿を見せなかった。そのときのクライバーの反応をマイスター(註:バイエルン国立管弦楽団のファゴット奏者のクルト・マイスター)はこう回想している、「彼はそれに文句を言わなかったが、彼らのルーム・ナンバーを持って来させ、彼らあててこうメモを書いた、「あなたたちが明日のプローベに来ないなら、わたしも現れることはない」”

「カルロス・クライバー ある天才指揮者の伝記 下」アレクサンダー・ヴェルナー著 p.236
「カルロス・クライバー ある天才指揮者の伝記 下」アレクサンダー・ヴェルナー著
カルロス・クライバー ある天才指揮者の伝記 下」アレクサンダー・ヴェルナー著 音楽の友社2010年刊

リバイスドされたクライバー本

2013年に河出書房新社から出たクライバー本「文藝別冊 カルロス・クライバー 孤高不滅の指揮者」は指揮者と長い親交があった広瀬勲氏の貴重な証言やWAVEのクライバー本の監修者だった長木誠司氏と山崎太郎氏による対談で海外のクライバー本の情報を整理されたりしていて、リバイズド(改訂・更新)された2010年代のクライバー本を強く印象づけるものでした。

「文藝別冊 カルロス・クライバー 孤高不滅の指揮者」
「文藝別冊 カルロス・クライバー 孤高不滅の指揮者」河出書房新社2013年刊

その中に岡本稔氏による「一九八六年 バイエルン国立管弦楽団公演」という日本ツアーに関する一文があります。
しかし、これは正直駄文です。大半はオーケストラの経歴や公演日とプログラムの羅列をしており、合計6回も通った割にはそれぞれの曲の演奏に関しては紋切り型の表現で数行程度という全く中身のない内容で、今回調べた中で最も情報量の薄い文章です。

”五月九日の初日、《魔弾の射手》序曲が荘厳な響きをもってはじまり、クライバーの優美な身のこなしによる指揮にこたえ、オーケストラ全体がまるで魅せられたように有機的な音楽を奏でていく様は、表現しようとも筆舌に尽くしがたい。”

“ブラームスの交響曲第二番もクライバーが好んで取り上げた作品。(中略)オーケストラの響きの魅力という点ではウィーン・フィルハーモニー管弦楽団に分があるように思われるが、クライバーの解釈が隅々まで徹底されているという点では、バイエルン州立管弦楽団の方が優れていた”

”(ベートーヴェンは)全曲に渡って彫琢が尽くされたきわめて完成度の高い演奏だった。ベートーヴェンの音楽が持つ様々な要素を明らかにするとともに、そのエネルギーを完全燃焼させた、まさにクライバーならではの演奏。”

「文藝別冊 カルロス・クライバー 孤高不滅の指揮者」河出書房新社 p.88-89

最後に:クライバー現象とは

1986年クライバー東京公演 ウェーバー、モーツァルト、ブラームス(2020/4/18)

初回で紹介した徳岡直樹氏のYouTubeを振り返ってみましょう。
氏の言う「クライバー現象」を私なりに考えてみますと、日本におけるクライバーへの熱狂的な関心は、氏が主張する1981年のミラノ・スカラ座来日公演から始まるのでなく、この1986年の日本公演が発端だと考えています。

それは来日オペラの高額なチケットと、オペラというクラシックにおけるジャンルの浸透度が障害となってクライバーへの関心度は一部のファンに留まっていたのが、この1986年のオーケストラツアーによる実演と放送に触れることで、彼の実力がベールをはいで多くのクラシックファンに認知されるに至ったと考えるからです。

そこに1990年代にはLD(レーザー・ディスク)が普及し、それに合わせるようにロイヤル・コンセルトヘボウとのベートーヴェン4番&7番やバイエルン国立歌劇場との「ばらの騎士」「こうもり」と相次いで映像商品が発売され、彼の指揮や演奏を映像で確かめられる機会が一気に増加したのも大きいと考えます。

さらに1980年代後半からCDが一般化されたのを受けて、1990年代に入ってからCDによる海賊盤が増加したのも、この幻の指揮者の認知と神格化を逆に高めたのかもしれません。

しかし皮肉なことにこの盛り上がりと相反して、彼の演奏会出演は極端に減ることになり、その音楽性も次第に晩年的な色合いを濃くすることになります。その意味でも1986年クライバー56歳という壮年期に、日本で彼の7曲のレパートリーを聴けたのは大変貴重な機会だったと思います。

5回に渡る1986年クライバーの来日公演記。
これは私の青春記でもあり、日本の音楽受容史の記録へのささやかな加担として一世一代の記録を書き上げたつもりです。
最後までそれにお付き合いいただき、本当にありがとうございました。

今月から新たに楽聖250周年を記念した全20回(年末完結)に渡る連載を開始する予定です。
よかったらまたお越しください。

カルロス・クライバー1986年来日公演記のすべて

コメント

  1. 徳岡直樹 より:

    ユーチューブ動画、取り上げてくださりありがとうございます。1986年当時まだ鳥取在の中学生で、NHKのテレビ放送をただ眺めるしかなかった30年前の詳細をこのように詳しく紹介され、懐かしく拝見いたしました。1974年の初来日では屈辱の記者会見、そして81年のスカラ座の「オテロ」「ボエーム」の感動的な名舞台。その後日本で起こった諸々の『クライバー伝説』の流布、それらが最高に盛り上がったのが1986年の公演だと思います。音楽的感動では81年スカラ座も素晴らしかったですが、聞き手の興奮度では1986年が圧倒的だったでしょう。お忍びはともかく、その後の来日公演は88、94だけだったのが残念だと思います。1992年のウィーンフィルが実現していたら、またユニークな演奏が記録されたことでしょう。他にも数点クライバー解説の動画を挙げております。また土曜日は日本時間21:00から生放送をしておりますので、ぜひおいでください。

    • 耳澄庵 より:

      徳岡さん 初めまして。
      そして、こんにちは。
      何のご挨拶もないまま動画を勝手に引用して、ご無礼いたしました。
      徳岡さんの動画を拝見してこの記事が出来上がったようなものなので、この場を借りて感謝申し上げます。
      本文でも書きましたが、あの1986年公演には大変期待していただけに一種愛憎半ばするものがあり、それゆえ忘れがたいものがあります。
      私はその後1994年のばらの騎士も体験することになりますが、これも例えようない昂奮と冷めた感情が入り混じる複雑な感情を覚えたものです。
      機会があれば、この時の記録もこちらで上げてみたいと思っています。
      今後の活躍をお祈りしております。
      追伸:私は去年まで台北市民だったのですよ(1年半の駐在でしたが)

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