こんにちは。耳澄(@siegmund69)です。
アーノンクールが言うには、ブルックナー4番の2楽章は「夜の巡礼の行進」と名づけられており、そこには「罪滅ぼし」が強く示唆されていると指摘しています。
「巡礼の行進」、つまりそこにはワーグナーの「タンホイザー」が影を落としているかのようです。
実は2020年8月7日の飯守泰次郎&東京シティフィルの演奏会(ミューザ川崎)では、メインのブルックナー4番の前に、「タンホイザー」序曲を置いています。
このプログラミングがアーノンクールの自説に基づいているとは思えませんが、そもそもブルックナーは、ワーグナーから強い影響を得ていることは周知の事実ですね。
アーノンクールはこの4番の響きの中には、「ローエングリン」のロマン主義があるとしています。
今回はそこから見える4番の姿、そしてそのアーノンクールやノリントンを嚆矢とした新たなブルックナー像について書きたいと思っています。
![bruckner symphony no.4 ブルックナー 交響曲第4番](https://www.kurahen.com/wp-content/uploads/sites/2/2020/08/3c2f1bf5651b6e98dc831e649e001cea.jpg)
4番の思い出
テンシュテット&BPO盤(1981)
まず、この交響曲について私の思い出を語らせてください。
一番最初にこの曲に出会ったのは、中学生の時に父が買ったテンシュテット&ベルリン・フィルのLP盤(ハース版 1981年)でした。
![ブルックナー:交響曲第4番 変ホ長調
クラウス・テンシュテット指揮 ベルリン・フィルハーモニ管弦楽団
録音年:1981年(旧EMI原盤)](https://www.kurahen.com/wp-content/uploads/sites/2/2020/08/tennstedtBruckner4.jpg)
クラウス・テンシュテット指揮 ベルリン・フィルハーモニ管弦楽団
録音年:1981年(旧EMI原盤)
当時はこの曲をよくわからないままに聴いていて、印象に残っているのは1楽章のあの独特なブルックナー・リズムによる金管の主題ぐらいで、さっぱり理解できないままでいました。
ちなみにこの演奏はハース版の使用とされていますが、随所に1888年版(ノヴァーク版第3稿)を採用しており、例えば169小節目の第2主題では第2稿のpに対してテンシュテットはfで響かせています。この盤を中学・高校と長いこと聴いていた私はこのfに馴染みすぎて、後々に他の版を聴いて戸惑った記憶があります。
![ルックナー:交響曲第4番変ホ長調(ハース版) 第1楽章166小節〜](https://www.kurahen.com/wp-content/uploads/sites/2/2020/08/BR4-M1-Haath-1024x686.png)
![ブルックナー:交響曲第4番変ホ長調(ノヴァーク版3稿1988年) 第1楽章166小節〜](https://www.kurahen.com/wp-content/uploads/sites/2/2020/08/BR4-M1-3-1024x785.jpg)
ムーティ&BPO盤(1986)
その後、大学に入ってから宇野功芳氏の扇情的なコメントにつられて買ったのは、ムーティ&ベルリン・フィルのCD盤(ノヴァーク版第2稿 1986年)
![ルックナー:交響曲第4番 変ホ長調
リッカルド・ムーティ指揮 ベルリン・フィルハーモニ管弦楽団
録音年:1986年(旧EMI原盤)](https://www.kurahen.com/wp-content/uploads/sites/2/2020/08/mutiBruckner4.jpg)
リッカルド・ムーティ指揮 ベルリン・フィルハーモニ管弦楽団
録音年:1986年(旧EMI原盤)
テンシュテットと同じベルリンフィルでレーベル も同じEMIにも関わらず、全体の録音の雰囲気や金管の響かせ方が違っていて、テンシュテットを剛とするならばムーティは柔と言うべきでしょうか。
同じ曲で同じオケを使いながらも、こうも違うのかと驚きました。
この録音は伝統的マッチョイズムから逸脱しているという点でユニークであり、その美しくハモる金管など、一度は聴いてみてもいいと思っています。
しかし、それでもこの曲に開眼したと言うのには程遠いレベルの私でした。。。
1993年チェリビダッケ&MPO来日公演
そんな私に大きな転機を与えたのは1993年セルジュ・チェリビダッケ&ミュンヘン・フィルの来日公演でした。
このツアーはチェリビダッケ最後の来日になったのですが、ギリギリでこの伝説的な指揮者のブルックナー を聴くことができたのです。
![1993年 セルジュ・チェリビダッケ&ミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団
公演パンフレット(著者所蔵)](https://www.kurahen.com/wp-content/uploads/sites/2/2020/08/IMG_7881-1024x1024.jpg)
公演パンフレット(著者所蔵)
![1993年 セルジュ・チェリビダッケ&ミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団
公演パンフレット(著者所蔵)](https://www.kurahen.com/wp-content/uploads/sites/2/2020/08/IMG_7880-1024x1024.jpg)
公演パンフレット(著者所蔵)
1993年4月24日(土)開演19:00
ブルックナー:交響曲第4番 変ホ長調(ハース版)
指揮:セルジュ・チェリビダッケ
ミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団
東京 サントリーホール
チェリビダッケの実演はそれまでも聴いてきましたが、ブルックナーに関してはこれは初めてだったのです。特に4番はチェリビダッケならではの表現もあって、これは衝撃的な演奏会でした。
以下、その時の記憶を再現してみたいと思います。
第1楽章
第1楽章 289小節〜
ここはホルンの主題に対してヴィオラが美しいオブリガードを付ける、この楽章屈指の叙情的な箇所ですね。
チェリビダッケは、じっくりとしたテンポで、ホルン1本→4本→トランペット・トロンボーン・チューバと次第に広がっていく音響と滔々と鳴るヴィオラの美しい交感を実に丁寧に描き、その巨大な神々しさは聖なるものを仰ぎ見るかのようでした。
![ブルックナー:交響曲第4番変ホ長調(ノヴァーク版2稿) 第1楽章289小節〜](https://www.kurahen.com/wp-content/uploads/sites/2/2020/08/BR4-289-1024x502.jpg)
第2楽章
第2楽章 221小節〜
チェリビダッケがベルリンフィル に復帰した1992年演奏会の模様をNHKで放送した際に、一緒に流れたドキュメンタリーがありました。
その中にシュレスヴィヒ=ホルシュタイン音楽祭の学生達とのリハーサルがあり、正にこの箇所を演奏しているのですが、それが本当に感動的だったのです。
ですから、実演でここを聴けたのは本当に感慨ひとしおでした。
もちろん、それは素晴らしい壮大な金管の「巡礼の行進」でした。
![ブルックナー:交響曲第4番変ホ長調(ハース版) 第2楽章219小節〜](https://www.kurahen.com/wp-content/uploads/sites/2/2020/08/BR4-m2-1024x703.jpg)
第4楽章
第4楽章 477小節〜
ここはいわゆるフィナーレのコーダですが、チェリビダッケとはいえば4番交響曲のこのコーダは有名ですね。
何より特徴的なのは弦楽器の刻み6連符を1・3・5拍目にアクセントをつけて、金管とのバランスにおいてもかなり前面に出ており、かなり特異な印象を与えることは事実です。
その結果、長調でありながらどこか不安定な調性感があるこのコーダに更に一層の不穏感を与えます。
![ブルックナー:交響曲第4番変ホ長調(ハース版) 第4楽章477小節〜](https://www.kurahen.com/wp-content/uploads/sites/2/2020/08/BR4-coda-846x1024.png)
弦楽器の6連符の1・3・5拍目のアクセントをつけるチェリビダッケ
本来であれば、その不穏感も最後のページで主調である変ホ長調が確定してキレイに解決するはずなのですが、前述した通り、チェリビダッケは弦楽器をやたらに強調するので、その最後のページの弦楽器のces(H)の非和声音が際立ち、長調と短調が軋むのです。
ミュンヘン・フィルの圧倒的なサウンドによるその壮大な亀裂は、もはや解放感というより、光り輝く世界の影にある不条理さえ感じたのでした。
![ブルックナー:交響曲第4番変ホ長調(ハース版) 第4楽章533小節〜](https://www.kurahen.com/wp-content/uploads/sites/2/2020/08/last-1024x814.png)
この体験は自分にとって未曾有過ぎて、それからしばらく、私はチェリビダッケの亡霊――当時彼のブルックナー4番は正規盤がなかったので海賊盤を買い、あの特異なコーダを繰り返し繰り返し聴くーーに取り憑かれたのでした。
次回、その呪縛から解かれて、新たなブルックナー像を探しに出かける旅を綴りたいと思います。
コメント