東京都交響楽団 第934回定期Bシリーズ
©Tokyo Metropolitan Symphony Orchestra

東京都交響楽団 第934回定期Bシリーズ

2021年9月9日(木)サントリーホールにて開催、東京都交響楽団 第934回定期Bシリーズの公演記録とレビュー/コメントのアーカイブページです。

公演日(初日) 2021年9月9日(木)  19時00分開演
会場 サントリーホール
出演 指揮:デイヴィッド・レイランド
ピアノ:北村朋幹
管弦楽:東京都交響楽団
演目 シューマン:歌劇「ゲノフェーファ」序曲 op.81
モーツァルト:ピアノ協奏曲第24番 ハ短調 K.491
シューマン:交響曲第2番 ハ長調 op.61  
参照サイト
東京都交響楽団公式サイト。コンサートスケジュール、チケット、オーケストラの紹介や第934回定期演奏会Bシリーズのご案内。
www.tmso.or.jp

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オイゲン(Eugen)

この日の演奏会は本来であれば、マルク・ミンコフスキによるブルックナーの交響曲第5番が予定されていたが、それが中止になり、代役としてベルギー出身でドイツなどで活躍する指揮者デイヴィッド・レイランドが登場した。客席はかなり空席が目立ったものの、この夜の演奏会は大収穫となった。ぜひともレイランドを再招聘してほしいものである。
プログラムは、シューマンの《ゲノフェーファ》序曲と交響曲第2番がモーツァルトのピアノ協奏曲第24番を挟むというものである。
最初の《ゲノフェーファ》序曲から都響のサウンドがまるでヨーロッパの老舗オケのように芳醇に鳴り響いており、感心させられた。続くモーツァルトのピアノ協奏曲第24番では、ソリスト北村朋幹が繊細で優美なタッチによる名演を展開した。短調で書かれたこの曲であるが、実は交響曲第39番や《魔笛》を思わせる楽し気なフレーズもあるということを改めて実感(なお、この日の昼に僕は《魔笛》を聴いていた)。オケも、対向配置による利点を生かし、流れるような各パートのフレーズの受け渡しを展開しており、見事であった。北村のアンコールとして、シューマンの《精霊の主題による変奏曲》の主題が弾かれたが、これも祈るような演奏であった。
さて、後半のシューマンの2番であるが、レイランドは指揮棒を適宜持ったり外したりしつつ細やかな指揮ぶりでかなり凝った演奏を展開していた。基本的にテンポは速め(第2楽章の終盤の追い込むようなスピードは圧巻であったし、楽章が終わったところでレイランドも満足げであった)だが、第3楽章や第4楽章終結はゆったりと歌わせ、場面ごとのメリハリに不足はなかった。おぼれることなく、前傾姿勢を取るというタイプは個人的にシューマンの演奏には向いていると思うが、当夜の演奏はまさにどんぴしゃりであったように思う。第1楽章から第3楽章まではシューマン自身も語っている通り、苦悩が表出しており、《魔笛》の第2幕と同様、「3つの試練」ともいえるが、レイランドはそれらの「試練」を、《魔笛》におけるタミーノと同様に強固な意志と希望をもって通過していった。そして第4楽章では、徐々に視界が開けてゆくように「光」を豊かな音色で表現していたと感じる。
レイランドの次回の招聘に期待したい。

らむーど

2021年9月9日 東京都交響楽団 第934回定期演奏会Bシリーズ@サントリーホール大ホール

上記の演奏会に伺ってレビューを書かせてもらいます、らむーどと申しますm(__)m

今回の演奏会に伺った動機としては、演奏会当日(2021年9月9日)は本来であれば乃木坂46の「真夏の全国ツアー2021」の東京ドーム3Daysのファイナルが開催予定日だったのですが(ToT)もっとも、モバイル先行の抽選でも当たるかどうかはましてや席の間隔を空けた配置での発売予定が故に鬼のような倍率だったと思われましたので分からなかったと思いましたが(^-^;空けておいた関係で延期が決まるまでこの演奏会のチケットの予約が出来なかったのですが、でも実はこの演奏会の空席状況は発売日からこまめに確認していて(^-^ゞ当日座った席はやはり実は発売当初は空いていてもそれから比較的早い時点で他のリスナーに予約されたので本当は諦めようかと思っていて(^-^;やはり更に本来であればこの演奏会の翌日にパーヴォヤルヴィ指揮N響の定期公演の方に行きかったのですが(本当は明電舎よりもそちらの方が気持ちが強かったのですが(^-^;)ご承知の通り緊急事態宣言中の発売が故に50%上限の発売で既に会員の購入で50%に達していた事で(俺としては予算の都合上でどのオケでも会員自体になれないので残念でしたが(ToT))1回券自体が発売されない事になった関係でその予算をこの演奏会に回せたのですが、この演奏会の直前になって当日座った席が空いて復活をしていて、それでも購入には迷いましたが(^-^;極端な思考かもしれないですが(^-^;「席が俺を呼んでいる」という感覚がして購入した事が一つ。そして中の人のすぎだま様がこの演奏会に関して「ある御仁が強く勧める」と言われていたものも参照して後押しになった事ももう一つの動機でしたが(*´ω`*)本当にこの演奏会を選んで大正解で(*≧∀≦*)正直に書くとリスナーの入りは都響にしては寂しかった兼ね合いが故か先の当日の俺の席が最高の見栄えに変わった事で本当に最高の体感が出来て(*≧∀≦*)ましてや指揮のデイヴィッドレイランドのクラシック通でいう所の「一般参賀」があった演奏会でもあるので本当に深く御礼を申し上げたいと共に感謝の気持ちでいっぱいですね(*≧∀≦*)

やはり前置きが長くて申し訳ないですが(ToT)演奏面に関しては俺より先の「オイゲン(Eugen)」さんが詳細に書かれていて全くその通りだと思うので是非参照下さればと思いますが(*´ω`*)演奏の中での表現面に関しては、誤解を怖れずに書くと当日のプログラム3曲(モーツァルトはピアノの北村朋幹君のアンコールのシューマンを含めて「1曲」と解釈させて下さいm(__)m)共各々が独立して全く同じ表現だったと感じて(^-^ゞその同じ表現を繰り返す事でその一つの事柄の説得力を高める手法だったと感じましたね(^-^ゞ要は当日のプログラム全体で一つのストーリーを作るやり方ではないという事でもありますよね(^-^ゞその「同じ表現」というものは「暗いものは明るくなってゆく」という事でそれは実は「自然」な事でもあるという事と感じたのですが(^-^ゞそれはなぜかというと当日では各々の曲の演奏前に「チューニング」をやったと思いますが(^-^ゞ当日のオーボエのトップが首席の広田智之さんで(*≧∀≦*)広田さんがAの音を鳴らして(モーツァルトの時は当日のコンサートマスターのソロコンサートマスターの四方恭子さんが先ずはピアノでAを鳴らして広田さんのオーボエにつなげましたが)各々のプレイヤーが音を出してゆく訳ですが、このAの音は「赤ちゃんの泣き声」とも言われていて、当然赤ちゃんから成長してゆく過程で言語を始めとして色々なものを身に付けて、更に人間の肉体が滅びても「魂」として続いてゆく事を含めてこれらの事柄で「明るくなる」と言えたものを感じて(^-^ゞそれらの時にプログラムの3曲共先の表現に変わってゆく展開の曲を選んでいる筈だと思いますが(^-^ゞ加えて各々の前のチューニングでさえ表現方法に加えると思われるレイランドの手法は本当に恐るべしだと感じましたね(゜ロ゜;

俺は永久名誉指揮者のジャンフルネの音楽を芯から尊敬していて(*≧∀≦*)手兵だった都響のサウンドが本当に大好きですが(*≧∀≦*)因みにこの演奏会のモーツァルトは俺はフルネの最晩年の2回の演奏会に行ったのですが(^-^ゞその内の1回の会場がやはりサントリーホールでの演奏会のCDで独奏が北村君も師事していて日本を代表するピアニストの伊藤恵さんの演奏を予習的なもので(これまでも何度も聴いていますが(^-^ゞ)参照しましたが(^-^ゞ都響のサウンドは如何なる時も本当に最高ですよね(*≧∀≦*)

では長々と申し訳ございませんでしたが(ToT)今回の演奏会の入りが少なかった理由はやむを得ない事情等もあるかもしれないですが(ToT)皆様におかれましては引き続き感染症等にお気を付け下さればと思いますがm(__)m最近どのオケの演奏会でも内容が熱くて盛り上がりを感じるが故に本当に芯から安心して演奏会が開催出来る日常に戻ってもらいたいと強く思いますよね。

すぎだま🐔クラレビの中の人

ダニエル・ハーディングが振る予定の932回定期が中止となり、今回934回はマルク・ミンコフスキがブルックナーを振るというので期待していたものの、結局、こちらも来日不可。大いに落胆していたわけで、振替公演として知らされた、デイヴィッド・レイランドのシューマンプロには正直何も感じていませんでした。
しかし信頼する御仁から、強烈に勧められたので行くことにしました。

御仁曰く、このプログラムの聴きどころは、

  1. ハ短調で始まりハ長調で終わる、苦難を乗り越えて夫婦の愛を寿ぐゲノフェーファ序曲
  2. たった二つしかない短調のピアノ協奏曲24番ハ短調
  3. クララへの愛と喜びで終わるハ長調交響曲2番をメインに据える

ということとのこと。
調性の意味はよく分からない私ですが、予習音源などを聴いているうちにふつふつと興味が湧きおこってまいりました。

結果、プログラム構成が秀逸だったこと以上に、デイヴィッド・レイランドの熱量と、北村朋幹の解釈にとても感激した演奏会となりました。

序曲を振り振り進むレイランドは、私が初めてパーヴォ・ヤルヴィを聴いた時の熱量に匹敵するものでした。(2000年11月11日 東京交響楽団第475回定期演奏会

当時39歳のヤルヴィと今年42歳のレイランド。年齢で線引するのは乱暴ですが、このあたりの頃の身体的充実と”働き盛り”感には、それ相応の納得感があります。

ハ長調2番における各パートに繰り出す指示は細かく、弱音で背中を丸めこんだり、大きくのけぞってオケの力強さを表したりするなど、こちらの体も思わず動いてしまうほどでした。

ピアノ協奏曲24番は、「情熱的」とか「深い暗さ」というワードで語られることが多いようですが、北村の演奏から私が感じ取ったのは、第1楽章で「さみしみをおびた侘しさ」、第2楽章で「懐かしさ」、第3楽章フィナーレで「焦りと諦め」でした。

そして聴いているうちに頭をよぎったのは、突飛と思われるでしょうか、「吉岡秀隆」でした。
とりわけ寅さんシリーズなどの山田洋次監督作品や「北の国から」での、青年期の吉岡の演技とだぶったのです。

山田監督は吉岡から「悲しみを帯びた演技ができる子」を見いだしたそうで、その名子役ぶりは正解なのですが、彼の魅力がもっとも光ったのは、上記作品においての、「青年期特有の情緒の揺れ」だったと思うのです。

北村の24番は、吉岡の、深く押し込んでいった、大人でもなく子供でもない中途半端な情緒として感じました。
それは50パーセントにも恐らく満たなかったガラガラの客の入りで、オケが響きすぎる音響のせいなのか、北村の解釈がそうなのかはわかりませんが、彼の持つ雰囲気もあいまってとても感じ入ったひとときとなりました。

全曲通して気になったのは、ホルンの吹き始めの発音が不安定というか、美しくないこと。
私の経験から、ホルンの出だしの美しさは海外オケが圧倒的に上で、国内オケではN響と読響が良いレベルだと思っています。ホルンは難しい楽器なのだと思いますが、いつか、どんなオケでもハラハラしないで聴かせていただける日が来ることを願います。

予習音源プレイリスト
https://open.spotify.com/playlist/2x5p1IC4yo9wtUZwKFr8MA?si=hZZ3QY7oS-KW0cdnKykxkw

モーツァルト: ピアノ協奏曲第24番 [福間洸太朗の動画で楽しむ楽曲解説・聴きどころ紹介 #3]
https://youtu.be/u7Hb-wJfugk
アーノンクールがラン・ランとウィーンフィルと録音した24番と17番のCDのメイキングDVD
https://amzn.to/398C1c7
ロジャー・ノリントンによるシューマン2番の解説(英語)
https://youtu.be/FU6Tt15objc

すぎだま🐔クラレビの中の人により、4 年間 前に最終更新されました

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