新国立劇場 ワーグナー 楽劇「ニーベルングの指環」第1日 ワルキューレ

新国立劇場 ワーグナー 楽劇「ニーベルングの指環」第1日 ワルキューレ

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耳澄

指揮者変更にはじまり、コロナ禍の入国制限による歌手の変更、ワーグナー歌いの払底を象徴するかのようなジークムントの配役の奇策など多難続きだった今回のワルキューレ。
初日以来そのジークムントやオケの出来で必ずしもポジティブではないtwitterの呟きを読むにつけ、不安が募ったのは正直なところで、期待半ばに劇場へ向かいました(3月20日公演)

1幕冒頭の響きの薄さにおやっと思って眼下のピットを覗き込むと、水谷コンマス率いる1stVnが楽器を膝に置いており、原譜通り冒頭の刻みは2ndとVaに任せて、最初はfと控えめなデュナーミクに始まり次第にcrescしながら頂点を迎えるこの嵐の設計を忠実に目指していることに気づきました。

1幕のジークムントを担った村上敏明は発音や声量などで課題はあったものの、例えば「フリートムント(平和を護る者)とは名乗れない」の苦難の動機を弱音から抑揚をつけて歌うあたりのニュアンスなど決して悪いものではなかったです。
むしろ気になったのは演技の固さで、第3場でジークリンデが再び登場する際にジークムントが「誰だ?」と気配を感じる際の硬直した体の反応や常套的な決めポーズなど、芝居がこなれていませんでした。

しかし1幕はフンディングの長谷川顕と小林厚子のジークリンデの好演が明らかに舞台に貢献しました。大野の棒は村上ジークムントではやや慎重に構えながら付けていたのが、「君は春」でのジークリンデの解放された歌に至ると、ここぞとばかりの音楽を煽っていく。それによって1幕後半は明らかに生彩を帯びはじめ、最後の幕切れも実に鮮やかなアッチェレランドで劇的な興奮に導いてくれました。

2幕はやはり藤村実穂子のフリッカでしょう。完全に役を自分のものにしており歌はもちろんのこと、クプファー=ラデツキーのヴォータンとの実に息のあった身振りの交わし合いで、演劇としての芝居も十分に堪能できました。
1幕幕切れにジークムントが叫ぶ「ヴェルズングの血に栄あれ」に対する「汚れた血に栄あれ」と皮肉る際の強調。ブリュンヒルデの再訪を認めてからヴォータンに最終的な誓約を迫る際の自信に満ち満ちた歌(大野の三連符の強いアクセントをつけながらゆっくり静かに奏でる伴奏!)
正直彼女はピークを越えた感じがしましたが、その歌い口といい芝居といい名人芸の域に達していると感じました。

クプファー=ラデツキーのヴォータンは3幕でまとめたいと思いますので、ここでは2幕における池田香織ブリュンヒルデと秋谷直之ジークムントの素晴らしさに言及しましょう。
当然第4場の「死の告知」になりますが、秋谷直之ジークムントの好演も相まって、後段のテンポを速めながら「もろとも死ぬ」を遮って二人を助けるとブリュンヒルデの信念を変えていく下りの劇的な歌唱。
秋谷は「(ヴァルハラでは)父に会えるのか」「私の妹も(ヴァルハラに)行けるのか」と厳粛ながら家族に想いを馳せる歌で正直泣かされました。

総じて2幕は葛藤・相克による対話劇が多いのですが、大野さんは緩急のコントラストが鮮やかで幕切れもヴォータンの疾走を表す駆ける音型からのぐっと溜めて終結音など実にオペラティック。全幕通して2幕が最も感動的な伴奏だったと思います。

3幕はブリュンヒルデとヴォータンが中心になりますが、この日の第3場は時に抑制された伴奏と歌があり、それは歌手の立ち位置なのか、やや歌に疲れが見えたクプファー=ラデツキーのヴォータンに対する大野の丁寧な配慮なのか、少しおや?と思いました。
そうした中で池田香織ブリュンヒルデの父への愛情と自らの誇りを歌う下りは、さすが大野の棒も強く支える伴奏へと変化し、「ヴォータンの告別」と導いていました。
クプファー=ラデツキーのヴォータンは当然口跡鮮やかで危なげない歌でありましたが、強く意固地な威厳ではなく、かなり弱さを曝け出す人間味のあるヴォータン像を描いていたように思えます。その最たる例が娘に別れを告げる際の「神たる私よりも、自由な男がお前を受けるder freier als ich, der Gott!」で泣きの入った、絶句のごとき歌でした。

最後にG・フリードリヒの演出について。
5年ぶりに見た本演出ですが再発見も多く、平凡と思った前回より楽しんだ感じ。
たとえば1幕のフンディングの嫉妬も絡んだ執拗な威嚇(テーブルを叩く音の凄さ!)そのフンディングの留守がジークムントのある一族の皆殺しに結び付き、フンディングの警戒がいや増すことを示す従者らの包囲など、意外にもと言ったら失礼だが細かい演出が施されている。
1幕・2幕前半で静止していた舞台が2幕決闘の回り舞台で一気に活劇的な運動を帯びる辺り、ジークムントの絶命における逆光のストップモーションなど見るべきところがありました

すぎだま🐔クラレビの中の人

3月20日(土)大野和士指揮最終日公演にて。

コロナ禍でも日本オペラは奮闘中!みたいな、”イベント色”を強く感じられ、正直あまり期待はしていなかった。飯守御大は降板、ジークムントに至っては、1幕と2幕でキャストが違うという、”ダブルキャスト”技には、主催側の苦悩というか苦肉というか。

しかし!

ズバリ言おう。

ごめんなさい

この日の公演は、トウキョーリング、前回のG・フリードリヒ公演を上回る、最高の出来だったのだ。

とにもかくにも大野和士の、作品の解釈と、キャストの能力に沿った丁寧なコンダクトにはあっぱれであった。
中小劇場向けに手を加えたアッバス版のチョイスは、コロナ禍におけるオケピの密回避目的であったわけだが、結果的に声量が乏しい日本人キャストに功を奏したと言えよう。

ところで私は勉強不足で知らなかったのだが、フリードリヒはもうこの世にいないのに演出はどうやるんだろうと思っていたら、再演出の際の演出は、「再演出演出」さんがいて、前回公演時の演出を演出ノートに基づいて行うのだそう。

前回観た際には気づかなかった、微妙なニュアンスを含んだ演技が、今回はそこかしこに見られた。観た席が違ったから見えなかったのか。こちらの見る目が肥えたのか。訳は分からないが、とても惹きつけられ感じ入った箇所が多くあった。
さすがにフリッカ役藤村実穂子やヴォータン役ミヒャエル・クプファー=ラデツキーは、場数を踏んでいるだけに安定感があった。しかし歌もさることながら、演技が珠玉であった。2幕での二人の対峙は本当によくこの役を愛しており、こちらも息をのむばかりであった。

さて、ワルキューレの感動の場は3幕のヴォータンの告別であるのは疑いはないのだが、今回私は2幕のジークムントへのブリュンヒルデの「死の告知」の場、これはとても個人的なことなのだが、数年前に父を亡くした私はジークムントが、「(ワルハラ)では父に会えるのですか」の下りで泣いてしまった。ここに至るまでこの箇所で泣いたことはなかった。今このレビューを書きながらでも潤んでしまう、私の急所になりそうだ。

この箇所の秋谷直之は大変良かった。1幕での村上敏明よりも英雄声なのに、ここはとても人間味を演じていた。二重丸である。

余談だが、3幕ワルキューレの騎行中に地震に見舞われ、3階バルコニー席でびびるというのも貴重な体験であった。

ワーグナー

最終日のみの感想です。
歌手陣は全て当初の期待通りまたは大きく上回る素晴らしい歌唱でした。ジークムントは苦肉の策のピンチヒッターということで期待していた閾値はかなり低めだったせいもありますがこれだけ歌えればワーグナーの音楽に没頭できます。最後でひっくり返ったのも気にしない。
期待がそこそこだったジークリンデは大きく上回って◎。フリッカとブリュンヒルデはもともとすごく大きな期待をしていて、その通りで◎、ウォータンは普通に期待通りで○てなところでしょうか。そして、城谷正博氏の指揮!の素晴らしいこと。監督よりはるかにワーグナーのことを熟知し手腕も確かなので期待はもちろんしていましたがここまでとは思ってませんでした。東京交響楽団がまるでアマチュアオケのような気合いと愛情を持って、それにプロの技術を駆使しての演奏。こんなに本気の音は新国立劇場のピットから私は聴いたことはありませんでした。
こんご、ワーグナーは全部城谷氏に振らせてくんないかなとさえ思いました。

さすらい人

当初のキャスティングでは世界の大歌劇場で活躍する人々が並んでいたが新型コロナ・ウィルスのおかげで外国人主要キャストは皆来日できず、急遽日本人中心の公演となった。私の日ごろの主張(新国立劇場は日本人中心のキャスティングにせよ)とは異なるが、今まで聞いたことのない藤村実穂子のフリッカ(彼女の「ラインの黄金」のフリッカは2013年にバルセロナで聞いたことがある)に期待し、初日の11日にあまり期待せずオペラ・パレスに向かった。
第1幕が始まると、やはり急遽指名されたせいかジークムントもジークリンデも、果てはフンディングまでがよく破綻しなかったと思うくらい終始プロンプターに助けられて歌う有様。ところがみな案外立派な歌唱なのだ。特に藤原の「ナヴァラの娘」での印象しかなかったジークリンデを歌った小林厚子が素晴らしい。第1幕では村上敏明がジークムントを歌い、第2幕では秋谷直之が歌ったのだが、この入れ替わりには特に違和感はなかった。そしてミヒャエル・クプファー=ラデツキーのヴォータンと池田香織のブリュンヒルデが登場。この幕からはプロンプターの声も聞こえなくなった。
そして第3幕の幕が下りると、全体を通し「期待外れ」の素晴らしい「ワルキューレ」が聞けて大満足。大野和士は第1幕を破綻なく導いた功績はあるものの平凡な指揮(東京二期会の「タンホイザー」を振ったヴァイグルのひどい指揮に比べればかなり良かったのだが)ではあったが、歌手たちが実に良くやった。小林のジークリンデは私の今までに観た50回程度の「ワルキューレ」の中でも五指には入ろうという素晴らしいジークリンデ。彼女には今後ワーグナーで世界に羽ばたいてほしいものだ。池田香織は沼尻竜典の「指輪」で鍛えられたせいか、自信に満ちた歌唱。もう少し声量が出せればさらに良いブリュンヒルデ歌いになれそうだ。ミヒャエル・クプファー=ラデツキーもなかなかだ。彼はたまたま別公演で日本にいたので急遽抜擢されたという。新国立劇場をはじめすでに我が国でもいくつかの公演に出演している歌手だ。彼の出演については知らないで会場に行ったのだが、実はすでに彼の指輪には接していたのだ。すなわち2017年にエルルの「リング」で「ワルキューレ」のヴォータン、そして「神々」のグンターを聞いていたのだ。彼は安定感のある良い歌手だと思う。
今回の公演では全員日本人というわけではなかったが、びわ湖と並んで新国立劇場でもほとんど外人歌手を交えないでも素晴らしい公演ができるということをまたまた証明してくれた(昨年のオール日本人の「夏の夜の夢」も実に良かった。)。というよりも、オリジナル・キャストを凌駕する出来だったように感じた。新国立劇場は外人中心のキャスティングをやめ、我が国の優秀な歌手、指揮者中心の公演を増やしてほしい。

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