大阪フィルハーモニー交響楽団 第556回定期演奏会
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大阪フィルハーモニー交響楽団 第556回定期演奏会

2022年3月4日(金)フェスティバルホールにて開催、大阪フィルハーモニー交響楽団 第556回定期演奏会の公演記録とレビュー/コメントのアーカイブページです。

公演日(初日) 2022年3月4日(金) 19時00分開演
会場 フェスティバルホール
出演 指揮:小泉和裕
管弦楽:大阪フィルハーモニー交響楽団
演目 ベートーヴェン:劇音楽「エグモント」序曲
オネゲル:交響曲第3番「典礼風」
シューマン:交響曲第4番


翌日も同プログラム
参照サイト http://www.osaka-phil.com/schedule/detail.php?d=20220304

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P.D.Q.ホフマン

初日ではなく、3月5日の同一プロを鑑賞。

小生は現在福岡在住であり、本来はテレワークが基本だが、商用で関西まで直接出向かなければならないことになった。
マエストロ小泉は福岡を拠点とする九州交響楽団の音楽監督を現在務めており、小生が福岡に転居した頃には、既に任期を重ねていた。
それまで彼の都響での演奏を耳にしてはいたものの、インバル登壇時の都響に心酔していた小生には、小泉の個性や美徳には気づけなかったというのが率直なところだった。
(あえて例えるならば新日本フィルと近い性格のオケのように感じられる)九州交響楽団との演奏を聴くようになったことで、随分と遅くなってはしまったが、マエストロ小泉とは何者かが分かってきたような気がしていた。
そこでこの公演にも足を運んでみたという次第である。

都響でも九州響でも小泉の振るシューマンやオネゲルを聴いておらず、オケの違いを論じる自信はない。
ただこの日の大阪フィルは弦中心で、推進力の非常に強い演奏を行っており、小生には都響を振っていたときの彼がたびたび思い起こされた。

コンマスは何と新日本フィルの崔文洙だ。やはりこの人は上手い。良い音だ。
新日本フィルと大阪フィルというと朝比奈隆の録音を思い出すが、両オケは提携でもしているのだろうか??
だからといって全体として新日本フィルのようには聴こえてこなかった。まるでいつかの都響のように聴こえたというのが、トータルでの小生の感想である。

さて、今ごろになって小生にもマエストロ小泉の個性が掴めてきた気がするという傲慢なことを書いたが、この日の演奏会でその思いを強くした。

以前に九州交響楽団で彼の振るブラームス・ツィクルスを聴いた。
ネガティヴなことをあえて書く動機がないから感想を書かなかったが、「音楽の友」誌で絶賛されており、インターネット上でもかねがね好評価だったようだ。
近い時期に彼は名古屋フィルでブラームスのいくつかを振っており、そちらも大変好評だったことからみても、その賞賛は妥当なものだったのだと考えている。

小生が彼のブラームス全四曲に納得できなかったのは、テンポの揺らし方が過剰に情緒的に感じられたからだった。
昔カラヤンの演奏を表面的だと酷評していた批評家がいたが、その言葉を連想させた。
テンポを揺らすこと自体は全く構わないのである。ただ、どうして突然テンポを落としたのか、小生には理解できない箇所がいくつかあった。
小泉はカラヤンコンクールで優勝し、カラヤンの指導を受けてキャリアをスタートさせたが、そのカラヤンはむしろインテンポを心がけた指揮者だったと認識していた(海賊盤では違う側面が聴けるようだが)から、ますます不思議だった。
もっともカラヤンに薫陶を受けたからといって、カラヤンのカーボンコピーである必要はないし、それを求めてはいない。

最近思うのは、マエストロ小泉は歌わせたい指揮者なのではないかということだ。
ジュリーニのような指揮者を目指しているのではないかという仮説である。
小生はジュリーニの弟子チョン・ミョンフンと東京フィルに素晴らしい思い出があるが、それはチョン・ミョンフンの歌わせ方が小生の好みだったためであって、あれを過剰な味付けだと感じていた人もいただろう。それと逆のパターンなのだと考えるようになっていた。

それが分かったからなのか、あるいは小生が無意識にブラームスよりもシューマンに歌を求めているからなのか、この演奏会のシューマンは格別な思い出となった。

弦楽合奏になるとぐっとテンポを落とし、そこで歌わせたがる小泉の意図が読み取れたことで、シューマンのこの交響曲が実は歌に満ちた曲であることを知ることができた。
かつてアーノンクールがシューマンの交響曲を室内楽的な性格を持つものだと評していたことは知っていたし、それを何となく理解していたつもりでいたのだが、この日それを初めて実感として体験できた。
きっとシューマンは指揮者不在の音楽、プレイヤーが心を通わせながら歌を紡いでいく音楽を、病的なほど巨大にしてしまったのだ。

この感覚を記憶しているうちに小泉のブラームスを聴きなおせば、もしかすると好印象に変わるかもしれない。変わらないかもしれない。
小泉のシューベルトを聴けば、ますますシューベルトが好きになるかもしれない。ならないかもしれない。
いずれにしても、シューマンに小泉が見出した歌は小生にはとても納得できるものだったのだ。

他の演目について述べていないが、オネゲルの第二楽章はとても良かった。

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