2011年ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団北京公演
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2011年ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団北京公演

2011年11月10日(木)北京国家大劇院・音楽庁にて開催、2011年ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団北京公演の公演記録とレビュー/コメントのアーカイブページです。

公演日(初日) 2011年11月10日(木) 19時30分開演
会場 北京国家大劇院・音楽庁
出演 指揮:サー・サイモン・ラトル
ホルン:シュテファン・ドール
管弦楽:ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
演目 ラヴェル:「道化師の朝の歌」
細川俊夫:《ホルン協奏曲 -開花の時- 》
ブルックナー:交響曲第9番 ニ短調


翌日も同プログラム
参照サイト https://www.berliner-philharmoniker.de/en/blog/tour/2011-asian-tour/
http://en.chncpa.org/whatson/zdyc/201105/t20110518_99098.shtml

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耳澄(みみすまし)

以下私の古い日記からの引用です。

※当夜のブルックナー9番はベンジャミン=グンナー・コールス校訂 ブルックナー協会新全集版のクリティカル・エディションを使用。1楽章299-301小節の括弧付けの保留にされているティンパニの二分音符の連打を採用。 
オケは全曲通して対向配置。コントラバスは管楽器の後ろに一列。ブルックナーは16型編成

ラヴェルと細川俊夫という並びは、前者にはスペイン風情の華やかさこそありますが共に印象派的な色彩と流れがあり共通性を見出すことは容易です。しかし、私には休憩を挟んでのブルックナーとの関連性が見出せず不思議なプログラムだと思っていました。 
実際ポスト武満的な細川俊夫のホルン協奏曲が静かに終わるのを聴き終えても、この後にどうブルックナーが繋がるのかがわかりませんでした。 
ところが、想像したよりも更に速いテンポで始まったブルックナーをしばらく聴いて感じたのは、響きそのものは確かにベルリンフィルならではの力強さがありながら、重厚壮大とは距離を置いた流麗と淡彩のイメージだったのです。
なるほど、このブルックナーの白鳥の歌をこのような繊細な手つきで捉える文脈であればこのプログラムの組み立てに関しては納得ができますが果たしていかに?

この夜のオケはその名に恥じない相変わらずの高水準で実に危なげないアンサンブルが実現されていました。 威力ある金管はブルックナー印と言えるユニゾンのトゥッティで大いに発揮されており、2楽章での悪魔的な連打の響きは腹に応える凄さがありました。 

印象に残っているのは、1楽章のコーダ直前の「p(ピアノ)」と指定された木管楽器のコラールが、3楽章の「生への別れ」コラールのイメージに相似した金管楽器のfのコラールに移行するアンサンブルとして難しい箇所(505-516小節)
そこでの精度の高いピッチとハーモニのバランスそして絶妙なデュナーミクの移行は本当に素晴らしいアンサンブルが聴けました。 
弦楽器も1楽章や3楽章の第2主題におけるうねるような歌いこみもさすがでしたが、コントラバスがオケの後列に配したせいなのか、チェロ・コントラバスが一体となった低音の響きが希薄になり、どこか重心が軽いことに気づきました。 

そのオケのトータルの響きなのですが、かなり速めのテンポもあって軽く淡いのです。
1楽章の序奏だけを聴いても、ラトルが意図するものはアウフタクトなどの力点が重くなく作曲者がそこかしこで和声の強調をするために付けた、sf(スフォルツァンド)やアクセントもできるだけ和らげているので、先ほど述べた低音の希薄さも加わって指揮者の方向性が重厚壮大を避けていることは明らかでした。 
結果として前半プロで特徴的だった繊細な手触りがここでも支配されているのです。
この曲を神への信仰の告白として捉えている自分としては、深刻な眼差しが薄く感じられ1楽章が終わった時点では不満を感じてしまいました。 

ところが、3楽章のあのマラ9のフィナーレを想起させる出だしを聴いた瞬間から、そのネガティブな印象がガラっと変わるのでした。 
厳しさと柔和な表情が交差しながら受難と昇天的なイメージを照らし出すこの楽章においては、ラトルの繊細な手つきによる音楽が自分の中で確かなものとして受け止めることができ、これが聴けただけでも当夜この会場に足を運ぶ甲斐があったと思えたのでした。 

特に印象深かったのは2箇所。 
まずは、第1主題回帰(85小節~)のフルートが主題の反行形で重なる箇所です。
ここでのフルートのエマニュエル・パユの一様な表情ではない微妙な濃淡をつけた、それこそ繊細を極めた表情には深刻とも哀しみともつかない眼差しと表情が刻印されていて、私はもう少しで落涙してしまうほどでした。これは当夜の白眉でした。 

今ひとつは、この楽章における最大のクライマックスになる206小節目の強烈な属13度の不協和音です。ここはベルリンフィルの剛の部分が完全に発揮され、かつライナー・ゼーガースの凄いティンパニの一撃も相まって阿鼻叫喚の凄まじい叫びが響き渡りました。 
そして、その後のフェルマータがつけられた四分休符のパウゼの長かったこと! 
落ち着きのない北京の聴衆もさすがにここでは息を潜めて、この最後の審判的な雷に慄いている様子でした。 
その後のラトルの采配もよかった。まるで伏せていた体を起こすかのように静かにほんとうに静かに、そしてゆっくりなテンポで音楽を動かし始める、その柔和な表情、ラトルが一貫して描いてきた繊細な手つきはここでは本当に心地よかったのです。
これがあるからこそ、終結の希望ある彼方への思いが心に響くのでした。 

このような3楽章を聴けただけでも私は満足でした。
納得のいかなかった1楽章や落ち着きがなくお喋りもちらほら聞ける北京の聴衆、
そして最後の終結音が鳴り終わるや否やの拍手もこの際私には関係なくなりました。 
音楽はそのひとかけらだけでも人を幸せにしてくれるならば素晴らしいのです、
と胸を張って言える気分でした。

耳澄(みみすまし)により、2 年間 前に最終更新されました

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