都響スペシャル「マーラー:交響曲第10番 嬰ヘ長調(クック版)」
©Tokyo Metropolitan Symphony Orchestra

都響スペシャル「マーラー:交響曲第10番 嬰ヘ長調(クック版)」

2014年7月20日(日)サントリーホールにて開催、都響スペシャル「マーラー:交響曲第10番 嬰ヘ長調(クック版)」の公演記録とレビュー/コメントのアーカイブページです。

公演日(初日) 2014年7月20日(日)  14時00分開演
会場 サントリーホール
出演 指揮:エリアフ・インバル
管弦楽:東京都交響楽団
演目 マーラー:交響曲第10番 嬰ヘ長調(クック補筆完成版)


翌日も同プログラム  
参照サイト https://www.suntory.co.jp/suntoryhall/schedule/detail/20140720_M_2.html
https://www.suntory.co.jp/suntoryhall/archive/det.html?data_id=16497

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耳澄(みみすまし)

以下、私の古い日記からの引用です。

おそらく、芸術作品というのは、作者が紡ぐ「自分の物語」だと思うのです。 
受け手はそれを作者の物語として肯定するかあるいは「私の物語」でもあると受容したとき、作者と受け手は手と手を取り合うことができるのだと思います。

1997年、私は初めてクック版によるマーラーの10番交響曲を実演で聴くことができました。 
奇しくもその演奏会はインバル&都響によるものでした。 
あの時の演奏は、私のおぼろげな記憶だとかろうじて音が並んでいただけで感銘を受けるほどの内容ではなくやはり日本のオケでは無理な演目だと落胆したものでした。
終演後に親しくさせていただいているコンマスの矢部氏が「この曲は難しすぎる」とため息をつかれていたのが印象的でした。 

あれから17年。インバル&都響がマーラー・チクルスの総決算として再びこの曲を取り上げてくれました。 
驚くべきことは、この組み合わせによる音楽が私の想像以上に熟成されていたことです。
その結果デリック・クックによって補われた未完のマーラー作品は血の通う音楽として、マーラーの思念を宿した音楽として再現されていたのです。
これは本当に幸福なことでした。
 

インバルは、クック版の最新版である第3稿2版を採用せず、予告通り第1版を使用。 
ただし2楽章結尾のシンバルの強打は2版に基づき挿入。 
彼はコンセルトヘボウとの映像では1版と2版の折衷として1版の4楽章のシロホン(木琴)を部分的にカットしていましたが今回は全面的に採用(私はこのシロホンの採用を全面的に支持しています)

 
さて1楽章からまったく危なげなくあの緊張度の高いスコアを再現されていました。
インバルの細かいキューの元、都響も最善を尽くしながら精緻にそして情感たっぷりにスコアを形にしていく様は17年前を思うと感慨ひとしおでした。
特にビオラ群の献身的な演奏はあまりにも感動的で、私は何度も感情の決壊に襲われる始末でした。 
あるいはポジティブな2楽章を体現するような結尾の前進に前進をするアッチェレランドの鮮やかさ。 
あるいはホール全体が瞬時に凍てついたあの凄まじい終楽章の大太鼓の強打。 
あるいは強い叫びが心を揺さぶるトランペットの強音。 
あるいは終楽章の結尾、13度にも及ぶ上昇グリッサンドの後のいつ果てることもなく続く全音符(この箇所、各奏者が互い互いに弓のアップダウンを逆にして音の均質化を図っていました)
そして最後の情感が深く籠った果てしない減衰と長い静寂。 

これらの演奏を聴きながら、マーラーがこの曲に込めた哀願と希望をやっと理解できたような気がしたのです。 
未完によって儚い残像のようになってしまったマーラーの手触りを確かなものとして感じられたような気がするのです。
彼の手をしっかり取り合うことできたような気がするのです。
だから消えゆく音を捉えながら思わず感情をかき乱してしまいました。 

奇跡のような演奏は早々めぐり合えないものですがこの大変な名演と遭遇できた幸運に、
ただただ感謝でした。 

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