新国立劇場オペラ研修所修了公演 モーツァルト 歌劇「ドン・ジョヴァンニ」
©NEW NATIONAL THEATRE, TOKYO

新国立劇場オペラ研修所修了公演 モーツァルト 歌劇「ドン・ジョヴァンニ」

2022年2月23日(水)新国立劇場中劇場にて開催、新国立劇場オペラ研修所修了公演 モーツァルト 歌劇「ドン・ジョヴァンニ」の公演記録とレビュー/コメントのアーカイブページです。

公演日(初日) 2022年2月23日(水) 14時00分開演
会場 新国立劇場中劇場
出演 指揮:天沼裕子
演出:粟國淳

出演:オペラ研修所研修生(第22期生・第23期生・第24期生)
賛助出演:糸賀修平(第10期修了)、松中哲平(第16期修了)

2月23日(水・祝)・25日(金)公演/
ドン・ジョヴァンニ:程音聡
ドンナ・アンナ:内山歌寿美
ドン・オッターヴィオ:鳥尾匠海
ドンナ・エルヴィーラ:杉山沙織
レポレッロ:湯浅貴斗
マゼット:長冨将士
ツェルリーナ:原田奈於(23日)、河田まりか(25日)
騎士長:松中哲平〈賛助出演〉

2月24日(木)公演/
ドン・ジョヴァンニ:大久保惇史
ドンナ・アンナ:大髙レナ
ドン・オッターヴィオ:糸賀修平〈賛助出演〉
ドンナ・エルヴィーラ:前島眞奈美
レポレッロ:森翔梧
マゼット:佐藤克彦
ツェルリーナ:大城みなみ
騎士長:松中哲平〈賛助出演〉
管弦楽:新国立アカデミーアンサンブル
演目 モーツァルト:歌劇「ドン・ジョヴァンニ」
(全2幕 イタリア語上演/日本語・英語字幕付)



公演日時/
2022年2月23日(水・祝)14:00
2022年2月24日(木)17:00
2022年2月25日(金)17:00
参照サイト
新国立劇場のオペラ公演「新国立劇場オペラ研修所修了公演『ドン・ジョヴァンニ』」のご紹介。 新国立劇場では名作から世界初演の新作まで、世界水準の多彩なオペラを上演…
www.nntt.jac.go.jp

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すぎだま🐔クラレビの中の人

2022年2月25日(金)の公演を鑑賞。

いきなり総括の感想。

大変良かった。

研修所音楽主任講師で伴奏を指揮した天沼裕子は、本公演の演者を知り尽くしており、彼らの個性、能力を十分に引き出していた、と感じました。

主に演劇公演に使われる中劇場で奏でられたのも、ある意味理想的であったとも感じられます。

まだプロになりきれていない彼らの声量はやはりまだまだもの足りず、また、予算を潤沢に使えるわけでもない修了公演でしょうから、演出装置等も小規模でいかざるを得ない台所事情からも、中劇場の規模はジャストフィットでした。

また伴奏を担当した新国立アカデミーアンサンブルのやや固めな響きは、無神経にしゃしゃり出ることなく、演者との間で心地いいバランスとなりました。

演者面では、本公演のそれぞれの配役が、演じる研修生の個性にぴったりはまっていたように見えました。

長身のドン・ジョヴァンニ役の程は、一本調子に感じられたものの、それがいかにも、”冷たさ””無感情”を強調しているように思えました。そして最後の晩餐の場での、死者への恐れもない”図太さ”やふてくされるような仕草にも感心しました。

レポレッロ役湯浅は、コミカルの中に悲哀が秘められた演技や歌を体現しているようでした。

ドンナ・アンナ役内山はたっぷりとした声量。晩餐の場直前のアリア「むごい女ですって」は感情がこもったなかなかの歌い上げでした。歌い終わりの拍手が最も大きかったと思います。女性陣はどなたもそこそこに声量もありうまいのですが、低音部でのそれが若干弱いのが気になるところでした

ドン・オッターヴィオ役鳥尾は少し残念。本演目でのテノールはちょっとかわいそうに感じるのは私だけでしょうか。2つのアリアは難曲な上に、役回りとしても友には裏切られるは、許嫁に本当に愛されているのか微妙だは。

彼の佇まいはドン・オッターヴィオにふさわしい高貴なイメージがあるので、今後を期待したいです。

そんな中で唯一の24期生(1年生)の長冨が、ちょっと残念な田舎のお兄ちゃん風のマゼットにぴったりのイメージでした。ツェルリーナと背の高さが同じところが、”かわいい”。表情も良いので、ドン・ジョヴァンニへの怒りが最も強いマゼットという役どころを、個性と歌を武器に成長していってほしいと願います。

この演目の中で私が好きなアリアは、ドン・オッターヴィオ1幕の「彼女の心の安らぎこそ私の願い」。「聞かせてくれよ」と祈る私の願いに応えようとするも歌い上げきれない鳥尾に、逆に感情移入してしまい、加えてアンサンブルのフルートの女性が、つたい流れ出そうな涙を押さえているような仕草が目に入り、私の涙腺が崩壊してしまいました。

もう一つ。1幕ツェルリーナの「ぶってよマゼット」。こちらは歌というよりもチェロの長いひとり語り(実際はトップとサイドの掛け合い)の旋律がたまりません。告白しますと、浅いオーケストラピットがよく見える席でしたので、舞台は見ずにトップの彼をずっと見ていました。
とても素敵でした。天沼も直後に大きな拍手を送っていました。

粟國淳の演出は、奇をてらったところなくト書き通りでした。そんな中で私にとって意外だったのは、蘇った騎士長が、刺殺されたままの衣装で顔を白塗りすることもなく、”人間”として現れた点でした。

石像の騎士長、蘇る白塗りの騎士長というと、ハナ肇のそれがどうしても浮かんできてしまう年頃なので、今回もそうなのだろうと勝手に決めつけてしまっていた私はちょっと混乱しました。

激しく暗い音楽が鳴り渡り、歌舞伎を彷彿とさせる、赤い布を黒子を使って炎に見立て、奈落に落ちていく舞台をよそに私は、なぜ騎士長は”人間”で現れたのかを考えていました。

つまり粟國は、この場面で動く石像の騎士長が晩餐に招待されて来るよりも、騎士長がまだ”人間”のままで彷徨っているとするほうが、悪人に強い”畏れ”を与える、と考えたのかもしれません。

死んだはずの人が死を表す死化粧もなく素顔のままで出ることの逆説的なインパクト=畏れ、とでも言いますか。

死んだ人(殺した人)がそのままの姿で目の前に現れたら、誰もが腰を抜かし改心もするのに、しかしドン・ジョバンニはそれにひれ伏すこともなく結果、最期を迎えてしまう。
もしかしたら、あなたの目の前にいる人は死んだ人かもしれないから、悪いことをすると報いを受けるんだよ、と言われているような気がしました。

この公演でプロとして活躍してくこととなる22期生の今後を期待します。また研修所在所生のさらなる成長を祈ります。

すぎだま🐔クラレビの中の人により、2 年間 前に最終更新されました

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